鷲巣あやのインタビュー

本日は鷲巣あやのさん(http://www.washizuayano.com/)インタビュー。
テーマは「男は本当に顔なのか?」。
前回の『週刊大衆シャイ!』の発売は6月12日でした。校了日を終え、僕は先輩の結婚式に出席するため、韓国に旅立ちました。帰国すると、日本中が一つの事件に注目していました。6月8日に起きた、加藤智大容疑者による、秋葉原殺傷事件です。この事件に関する報道が出てくる中、非常にインパクトのある言葉がマスコミに流通しました。「彼女がいない/それが全ての元凶」「どうしてみんなが俺を無視するのか真剣に考えてみる/不細工だから/終了」「友達ほしい/でもできない/なんでかな/不細工だから/終了」「彼女さえいればこんなに惨めに生きなくていいのに」といった、加藤容疑者が犯行前に書き込んでいた、自らの「ブサイク」「彼女がいない」ということへ対する強烈なコンプレックスの言葉でした。そうした考えが、どれだけ犯行に直接結びついたのかは分かりません。しかし、こうした報道を見るにつけ、僕は「あと一週間早く『週刊大衆シャイ!』が出ていれば」というふうに思いを強くしたのです。もちろん、『週刊大衆シャイ!』が加藤容疑者に読まれていれば、事件を起こすこともなかっただろう、と単純に思うわけではありません。しかし、僕は「ブサイク」で「彼女がいない」コンプレックスの塊だけど、楽しく生きたい、と思う人に向けて『週刊大衆シャイ!』を作りたいと思ったのです。彼女がいたり、恋愛ができたり、セックスができたりすれば、それができない人よりは偉い、という風潮が、世間には溢れすぎている。そうではないだろう、と。モテをあおり、恋愛をあおるのではなく、そしていきなり逆のベクトルに振れて「オタク万歳!」というのではなく、もっと普通に楽しく生きていく生き方があるのではないか。もっと恋愛やセックスとは離れながら、フラットに下ネタを語り、グラビアを鑑賞しながら、いろんな関係性の中で生きていけばいいじゃないか。そういう一つの思想を持って、僕は『週刊大衆シャイ!』を作りたいと思っていたのです。
ですから、この秋葉原事件に触れ、僕は次号の『週刊大衆シャイ!』のテーマは、「ブサイク」問題と「彼女がいない」問題にしよう、と決意しました。先日の森見登美彦さんインタビューも、そういった文脈の中でお願いしたのです。彼女がいなくたって、別に楽しく生きていればいいじゃないか、森見さんの作品には、そうしたまったく気負っていない確かな意志を感じるのです。『太陽の塔』だって『四畳半神話大系』だって、彼女がいようがいまいと、登場人物は楽しく生きている。
今回のインタビューも、この「ブサイク」問題から決まった企画です。本当に男は「不細工だから終了」なのか。僕は自分の顔がそんなに悪くないどころか、ちょっとかっこいいのではないかとすら時々思うほどですが、それが実はそうではなく、ブサイクの部類に入るどころか、はっきりとブサイクなのではないか、という評価を周りから得たりもします。ポツドール三浦大輔さんが『顔よ』の公演の時、「男は誰でも自分の顔を60点だと思っている」というようなことを言っていましたが、まさにそうで、僕もまあそれくらいだろう、と思ったりもする。しかし評価は40点かもしれないし、30点かもしれない。そんなこと、いくら自分で思い悩んでいたって仕方がないでしょう。僕はブサイクかもしれないが、自分をちょっとだけかっこいいと思いつつ、楽しく生きている。それでいいじゃないですか。
そう、ブサイクだって、別にいいんだ。そういう思いを後押しするべく、9月19日発売の『週刊大衆シャイ!』では、アイドルの方10人ほどに「男は顔なのか(そうじゃないと言って!)」インタビューを敢行しています。「顔じゃないですよ。やっぱり優しさですよ」なんて通り一辺倒の答えでは許しません。実際にどんなふうに一挙手一投足をすれば、ブサイクでも終了にはならないのか、アイドル一人につき一つの格言を生み出していく覚悟でインタビューに臨んでいます。言うなれば「ブサイクでもモテる10の秘訣」ですね。果たして鷲巣あやのさんは、顔ではなくどこに注目するのか、それ以外のアイドルたちは、男性のどこを見ているのか、9月19日(金)発売の『週刊大衆シャイ!』を読めば、顔なんて気にならなくなること間違いなし。